探県記 Vol.67

安部榮四郎記念館

(2016年3月)

ABE EISHIROU-KINENKAN

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蛍の棲む紙すきの里に建つ
人間国宝・安部榮四郎の記念館

 
島根県松江市を走る意宇川の上流、東岩坂川が流れる山間の小さな集落は、蛍の棲む出雲和紙の里。
 
美しく澄んだ水が豊富で、紙すきの原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)が育つのに適した土壌であったこともあり、当地では、江戸時代の中頃から紙すきが始まり、最盛期には30軒の紙すき屋があったのだそう。けれど明治時代になると、廉価な機械製紙の普及によって紙すき屋の数は激減、1軒を残すだけになってしまったのです。
 
そんな出雲和紙の未来を案じて立ち上がったのが、幼少の頃から家業の紙すき屋を継いでいた安部榮四郎(1902~1984)でした。
 
安部榮四郎は、古来の原料と技法を用いて雁皮紙(がんぴし)をすく功績が認められて、昭和43年(1968)、国の重要無形文化財雁皮紙保持者、つまり人間国宝に認定された出雲が誇る職人です。
 
伝統技術の良いところを残し、さらに現代感覚を加え、研究に研究を重ねて、出雲の和紙「出雲民藝紙」を誕生させた榮四郎は「和紙文化の革命児」とも称されています。
 
安部榮四郎記念館は、昭和58年、和紙を育てて後世に伝えようと設立された、和紙の博物館です。
1階は紙の歴史を中心に、2階は民藝を中心に、それぞれ展示されています。

 
案内役は、榮四郎の「心と技」を受け継ぐ安部信一郎さん。榮四郎のお孫さんです。
「祖父とは、10年ほど一緒に仕事をしています。言葉で何か教わったというより、祖父の仕事を見て、それを何回も復習するという感じでした。怒られたことはなかったですね。家に入れば普通のおじいさんと孫でしたよ」

 

あの棟方志功が「紙の神様」と呼んだ!

 
「榮四郎さんの和紙の特徴とは、どんなものなのでしょうか?」と内山キャプテン。
 
「伝統の手すき和紙と民藝運動が合体した、いわゆる異業種交流ですかね。時代の要請に順応したということでしょうか」と信一郎さん。
 
榮四郎は、民藝の創始者・柳宗悦と出会い、自らも民藝運動に参加。イギリスの陶芸家バーナード・リーチ、河井寬次郞、濱田庄司、板画家・棟方志功らと親交を深めています。
 
中でも棟方志功は、榮四郎から「紙は大事。紙が悪いと作品がボロボロになる」と教わり、「紙の神様」と榮四郎を呼んだのだそうです。

 

 
安部榮四郎記念館に隣接するのは、手すき和紙伝習館。気軽に、手漉き体験ができるスポットで、松江市役所の国際交流員であるフランス出身のファビアン隊員と、もちろん内山キャプテンも挑戦しました。
 
なんと何度も当地を訪れ、その都度、手すき体験しているというファビアン隊員。
「もしも私が本格的に手すきをやったら、どれくらいでものになるのでしょうか」と興味が尽きません。
 
ファビアン隊員は、去年だけで6回、フランスからのお客様を安部榮四郎記念館・手すき和紙伝習館に案内したほどの松江の達人のひとり。
 
出雲の和紙は、日本人のみならず、海外の人々も魅了する匠の手仕事なのです。


 

 
【アクセスについて】
●安部榮四郎記念館へのアクセス/JR松江駅よりバスで約40分
●島根県松江市八雲町東岩坂1754

【WEBサイト】安部榮四郎記念館