探県記 Vol.134

天野紺屋

(2018年10月)

AMANO KOUYA

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島根県広瀬町に残る唯一の紺屋で
「いっせいのせ」「どぼーん!」と
かけ声も楽しい藍染を体験

 

 
島根県安来市広瀬町は約400年前の戦国時代、月山富田城の城下町でした。街並みには当時の面影が残り、ノスタルジックな気配がそこはかとなく漂っています。そんな広瀬町の街道脇に、趣深い風情で佇んでいる天野紺屋。軒下の看板は木工作家・藤田丈(じょう)さんの作品で、これもまた目を惹かれます。
ここの工房で原隊員が藍染を体験しました。 天野紺屋の5代目・天野尚(ひさし)さんと原隊員は以前からの知り合いで、お互いに尊敬し合う仲。藍染体験が2回目の原隊員は、丸い円をデザインしたお気に入りの白いTシャツを染めようと持参し、始まる前から意気揚々と子どものように楽しそうです。
さぁ、スタート!まずは掛け声の練習から。天野さんの「いっせいのせ」の声に続いて、「どぼーん!」と大きな声で言いながら、藍甕にTシャツを浸けます。この掛け声は、外国人でも分かりやすいようにと考案されたそうです。不思議なことに、言うたびに楽しくなってくる魔法の言葉です。

 
「どぼーん!」と藍甕に入れた後は、60秒ほど浸けてから引き上げ、しっかり絞った後で空気にふれさせます。上げてすぐは茶色なのですが、見る見る間に紺色に変わっていきます。
「藍の色素には形があって、茶色のときはアメーバーのようにぐにょっとしています。それが空気にふれることで糸のあちこちにカチンと固まって、紺色に定着する性質があるんですよ」と解説してくださいました。

 
これを繰り返すことで、淡い藍から濃い藍に染めることができます。原隊員は4セット行うことに。明るく気さくな天野尚さんの手ほどきと会話で、あっという間に時間が過ぎて、楽しく染めることができました。
染め上げた後は水洗いして脱水機にかけ、乾かしたらもう着ることができます。持参のTシャツは丸い円の白色と、生地の藍色のコントラストが美しく、世界で一枚だけの作品に生まれ変わりました。
「すごく楽しい! 型染にも挑戦したいですね。今度は家族と一緒に来ます」と原隊員も大満足でした。

 

機織りのトントンで目覚める朝
西日本で3本の指に入った広瀬絣の
藍と伝統技法を守り続ける

 

 
明治3年に創業した天野紺屋は、糸染めの専門店です。それから150年余り、戦時中も藍を守り続け、昔から変わらぬ技法で今も綿糸、麻糸、絹糸が染められています。
今日、糸を染める紺屋は全国でも少なくなってしまいました。そのため山陰だけでなく、遠く九州や関東からと依頼は後を絶たず、各地の機織り作家をはじめ刺し子や手芸などの職人さん、糸を販売する専門店などにとって無くてはならない存在となっています。
3代目・天野圭(けい)さんは、藍の染色と広瀬絣の復興に尽力したとして知られ、勲六等瑞宝章などを受賞された方でした。現在は4代目・天野融(とおる)さんが広瀬絣の機織り、5代目・天野尚(ひさし)さんが染めを担当し、親子で活躍されています。

 
「明治から大正にかけて、広瀬絣は愛媛県の伊予絣、福岡県の久留米絣と並び、西日本で3本の指に入る生産量を誇っていました。町内の大工さんが綜台(へだい)を考案して、地域のお母さんパワーで躍進させたんですよ」と語る天野尚さん。
綜台とは、絵絣の模様をつける道具です。約160センチの板に40本ほどの糸を交互に張り渡して、糸を染める部分と染めない部分を決めていきます。当時は長い廊下がないと糸染めができなかったので、まさに画期的な道具でした。

 
この発明により糸染めが盛んとなり、地元の女性に広瀬絣が広まり、生産拡大に大きく貢献しました。最盛期、広瀬町の朝は包丁のトントンではなく、機織りのトントンの音で目覚めたと言われるほどでした。
今でも天野紺屋には織機がずらりと並ぶ部屋があり、綜台を使って染めた糸で広瀬絣が織られています。こうした地域の伝統を伝承するため、松江市八雲町たけかや保育園で、毎年、年長さんに藍染体験を行っているそうです。

 
天野尚さんは「青蛙」という作家名で、藍型染めの作品も発表されています。えすこ出雲大社前店、今井書店田和山店の青杏+、米子市のtis Clayなどには、作品の図柄を染めた手ぬぐいなどの商品が置かれ、山陰土産におすすめです。
「直感から生まれた柄をアウトプットする時期だと感じます」と来年早々、新作の柄展も予定され楽しみは尽きません。

 
 
【アクセスについて】
●天野紺屋へのアクセス/JR安来駅から車で約21分
●島根県安来市広瀬町広瀬968
【WEBサイト】天野紺屋